– はじまり
戦前まで地元民が日用使いしていた「箱崎縞」。縦糸と横糸を紡いだだけのシンプルな、しかしそれ故に多くの人々に愛用されてきた織物である。戦時中、金属不足による工具の解体をきっかけに生産が廃絶していたが、服飾の実務者であり教員である施主が製法を研究し、現代に蘇らせることを決意した。
70年余の空白の時を経て、伝統を引き継ぎ現代の暮らしに沿った「箱崎縞」によるテキスタイルメーカーを創立し、生地や服飾の展示・販売を行うギャラリー、加えて街との交流の場としての喫茶を計画する。
–「誰が決めたわけでもないその節度のようなもの」に倣う
場所は、福岡市博多区御供所町(ごくしょまち)。博多駅から徒歩10分という市街地でありながら、栄西禅師を開祖とする聖福寺を筆頭に、戦時中にそのほとんどが消失した福岡市内では珍しく、古い神社仏閣が集積する由緒あるエリアである。対象地はその聖福寺の通り沿いにある。ここは700年以上続く奉納神事でもある博多祇園山笠の通り道であり、市街地と言えど大通りから一筋入り非常に静かである。近隣には、派手さは無いが店主の想いが滲み出た個性豊かな店舗が点在し、程良く異彩を放ちながらも古い街並みに溶け込んでいる。えも言えぬ「品」のようなものが備わっており、まるで、この街に必要なものが起爆剤や特効薬ではなく、持続的で負荷の少ない漢方薬のようなものであることを、皆、学ばずとも知っているかのようである。言うならば、この地域には「誰が決めたわけでもないその節度のようなもの」が存在しており、それは戦火を免れ、永い時の蓄積に成功した街区ならではの、街の記憶や誇りがその空気を創り出しているのであろうか。この一見曖昧で掴み所のない与条件こそが本計画の重要なファクターであり、目指すべき方向性であると感じた。
–街とゆるやかに連続する優しい居場所
そのような立地にある鉄骨造3階建の古ビルの1階が今回の計画地である。間口が狭く奥に細長い平面の最奥には、元博多織士育成学校が使用していた名残で、今でも実用されている博多織機が鎮座している。この奥に長い空間性を活かし、家具のようなブース状の厨房を挟んで、服飾販売やギャラリー、喫茶として利用できる手前と奥の2つの空間、その最奥の博多織機スペースというように、異種用途の空間がワンルームとして連続・混在する状態を計画した。街路からは奥へと視線が通り、奥からはカタン、コトンと織機の音が街路にまで聞こえてくる。その抜け感と気配の双方向性が、街と人、人と人との交流を自然と促す仕掛けである。街とゆるやかに連続する、まるで身体に馴染む白湯のような優しい居場所としつつも、新たな来訪客を呼び込む街の活気づくりにも一役買う。
–「これで良い」と「これで良くない」のぎりぎりの境界を探す作業
上述のような背景を踏まえ、今回の設計では街歴の一役となってきた既存に敬意を表し、既存の最大化・新規の最小化を基本方針としている。既存状態を細やかに分析し「これで良い」と「これで良くない」のぎりぎりの境界を探す作業をストイックに繰り返す、我々が言うところの「設い(しつらい)法」と呼ぶ改修手法(※)を用いた。具体的には、床・壁・天井の躯体を、さらに部位ごとに既存活かし・美装のみ・半解体・全解体の4つの方針に振り分け、仕上は基本的に空間整理や補修の為に必要な場合にのみ施している。造作については、厨房、要望である壁付台、トイレ廻りに限定し、ポイントとしてペンダントライト、ドアハンドル、ペーパーホルダーを特注で製作した。中でも厨房は、素材の効果・規格、厨房機能、空間ボリューム、耐久性、施工生、廃棄物の最小化、コスト等を踏まえ最も合理的なバランスを検討し、まるで建築と家具のあいだのような不思議なスケールの造作物となっている。荒々しい既存に対し、繊細で温もりのある杉白太上小節材をあらわし(ヌード)状態として用いることで、空間に重心を与えると共に、あらゆる下地となるようなニュートラルな状態をデザインしている。また、新設厨房は排水や床上げ工事を省く為あくまで既存水廻りに集約させ、照明や電気工事も既存ダクトレールや配線の転用等により、内装や造作のみならず設備工事も最小限に抑えている。
– 想像の余地を計画することも1つのデザイン
竣工とはスタートであり、店舗の成長や環境の変化と共に、空間も絶えず変化し続ける「これから」を想像し、余白の解釈を他者に委ねる水墨画のように、想像の余地を計画することも1つのデザインである。この空間が、個々の居場所として街に開かれ、多くの人々の笑顔を積み重ねていくことを切に願う。
※鹿児島の改修計画「鴨池新町の設い/2017」にて「設い(つしらい)」という考え方をはじめて手法としての取り組んだ
福岡県福岡市博多区