建築界のノーベル賞といわれる、権威ある賞の1つにプリツカー賞があります。1979年の初代受賞者のフィリップ・ジョンソンをはじめとし、世界的な建築家が毎年名を連ねる建築界では言わずと知れたアワードの1つです。実は日本人も数多く受賞しており、日本人初代の丹下健三を皮切りに、槇文彦、安藤忠雄、SANAA(妹島和世+西沢立衛)、伊東豊雄、坂茂、そして2019年には日本人8人目として磯崎新氏が受賞しました。素晴らしいですね!日本の建築家は世界的にみても優秀だということがお分かり頂けますでしょうか。皆様の身近な建築家をもっと褒めて評価してあげてください笑
しかし一方で、残念なことも浮き彫りになっています。磯崎氏がプリツカー賞に輝いた翌年、受賞を知ってか知らずか(知っていればまた違ったというのも違うのでしょうが)、氏の作品である博多駅前の「西日本シティ銀行本店」が解体されました。あのシンボリックな赤い天然石の外壁は、膨大な量だったと聞いていますが、わざわざインドから船で輸送したものだというのはご存知でしたでしょうか。是非ゴミにするのではなくリユースしてほしい、というかすべきですね。少しまじめな話をすると、この解体と2019年の菊竹清訓の傑作「都城市民会館」の解体とが僕にとっては特に象徴的であったわけですが(他にも近代遺産の解体事例はたくさんあります)、市民ひとりひとりの自国の近代建築文化への理解の低さ、不勉強さを露呈した出来事の1つとして反省の余地があるなと思います。いずれも2度と建築不可能なほどの大変な情熱と膨大なエネルギーの結晶であり、時代性、革新性、芸術性など様々な知見からも価値のあるものでした。100年後の100年前は現在なわけで、今を正しく評価し行動できなければ歴史や文化は、それこそ喪失してしまいます。ここ数年ずっと考えていることですが、建築やデザインの教育をぜひ義務教育で取り入れてほしいものです。デザイン的思考や審美眼は、ただそれだけで日常生活を驚くほど豊かに変えることができることを、僕は体験的に知っています。
話がかなり逸れてしまいましたが、2021年のプリツカー賞は「ラカトン&ヴァッサル」というフランスを拠点とする建築ユニットに決定したとのことです。既存を徹底的に分析し、再解釈・更新という手法は、まさにこれからの建築手法だと個人的にも考えているところで非常に共感できます。また、特にここが重要だと思っていますが、その手法の結果がいわゆるリノベーションでありがちな、過去に基づく安心感へ寄せるようなありきたりなものではなく、未踏の地を切り拓く可能性に対してのチャレンジを感じるところ、さらにそれが単に奇抜だったり派手だったりパフォーマンスのようであったりというものではなく、緻密な分析の結果、つまり与条件から自然発生的に生まれてきているように感じるところがポイントなのでしょう。とても励みになります。
photo:Laurent Chalet
■記事
https://architecturephoto.net/114153/
■ラカトン&ヴァッサル
https://www.lacatonvassal.com