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KOSUKE ARIYOSHI

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『We Resonate』with john*(John John Festival)/ iima

2023.09.11 /


海に近く、森に囲まれた環境にある森の隠れ家のような歯科医院が福岡県糸島市にあります。「いとの森の歯科室」と名付けられたこの空間は、2016年に2棟の既存家屋を増改築することでつくられました。2つの棟(むね)をいろいろな人や活動を受けとめることのできる大らかな軒下のようなホールで繋ぎそのうち1棟を歯科へとコンバージョンしています。先日、このホールを舞台に音楽ユニットiimaさんのライブイベントがありました。『We Resonate(私たちは共鳴する)』というタイトルに相応しい、環境と観客、アーティストとがまさに共鳴しあう素晴らしいひと時でした。例えば食事という行為が、美味しい食材や栄養成分を体内に取り込むことだけを目的としたものでは無く、その豊かさが、誰と一緒であるかはもちろんのこと、その場所、その時間をも含めた多くの情報で感じられるように、行為という主役を引き立てる脇役として、行為を包み込む環境や空間がいかに重要であるかを再認識できる貴重な時間でした。

これは個人的な感想ですが、ものごとを判断する上でわかりやすい機能や数値も参考になりますが、感動を呼ぶ感覚や体験はその上位にあると思っています。誰かのクチコミやコメント、PR広告、写真の見栄えを参考にするのも良いですが、それだけではいくらそれを追求しても「リアル」にはなりません。人間自身の素肌や五感で感じることを「リアル」だとすると、そこから得られる情報量の多さや密度は比較にならないくらい濃密で、そして真実(誤差が無い、それ以上でも以下でもないといった意味)です。体験を取り巻く情報が濃密であるほど、真実に近いほど、「感動」は大きくなっていきます。人の感性は、そうやって、その感動を積み上げて行くことで育まれていくと思っています。是非みなさんも、視覚に偏向したモニター越しから得られる情報だけでは決して到達し得ない、その場に満ちた「空気」や「心地よさ」を意識されてみてはいかがでしょうか。ポイントは、膨大な情報を膨大なまま一旦受け入れること。そしてすぐさま整理・理解・判断しようとしないこと。慣れるまでに時間が必要かもしれませんが、慣れてきた頃にこんがらがった糸を少しづつ紐解いていけば世界は一変していくことと思います。

ちょっと何を言っているかわからない感じになってきました笑
ムリヤリまとめると、建築や空間にはそういう力があるし、僕はそういう状態で設計に向き合うことを大切にしたいと思っています。利便性が優位な今の時代、無駄だと思うことが増えたように思いますが、瞬間的に無駄だと思ったことを一度疑うクセをつけると良いかもしれません。無駄な無駄は不要ですが、無駄でない無駄を暮らしに取り込むことはむしろお勧めします。無駄か無駄でないかの判断が難しい場合は、僕の事務所のドアをノックしてください(実際インターホンが壊れています)。

■iima
https://iima-iima.com

■いとの森の歯科室
https://www.ito-mori.com

■いとの森の歯科室(建築について)
https://notequal.jp/project/1348

New World Hustle / Tommy Guerrero

2023.06.25 /

学生時代に友人に教えてもらって以来、今でもずっと聴いているトミーゲレロ。プロスケーターでありながらミュージシャンとしてのセンスも抜群で、かなり好きなアーティストの一人です。そんな彼が昨年10月に新譜「ニュー・ワールド・ハッスル」をリリースしました。しかも先日8年ぶりの来福も果たし、もちろんライブにも参戦。自分の中で今またトミーゲレロが再燃中なのです。新譜一曲目の「アサシンズ・パス」とりあえず聴いてみてください。昔のアルバムも良盤ばかりでおすすめです。

論考:余白の可能性とマイクロソーシャルウェルフェアという考え方

2022.12.19 /



はっぱ歯科のテキストと自撮りしたものですがディテール写真を数枚追加しました。ぜひご高覧ください(こちら)。久しぶりにというか、せっかくのブログスペースが最近は業務連絡ばかりになっていましたので、散文ですが、プロジェクトを通しての所感というか気づいたことを少し文字にしてみようと思います。論考というと大げさですが、少し考えをまとめておきたかったということです。

この歯科の最もユニークなところは、私設の歯科がわざわざ貴重な床面積を割いて、本来の目的や利益と直結しない多目的に使える市民ギャラリーを設けた点だ。自身の権利を自分のためだけに使うのではなく、広く地域に開く選択をしたクライアントに敬意を表する。ウィズコロナとも言われるこれからの実店舗はその意義を根本から考え直す必要があり、それは歯科も同様である。

人々の幸福に資する公共的な場やサービスを社会福祉だとすると、社会福祉活動は一般的には公共や余力のある大企業などが行うものというイメージであろう。しかしこのはっぱ歯科のように、「Micro Social Welfare(マイクロソーシャルウェルフェア=微小な社会福祉。以後MSWと表記)」とでもいうような、個人や小さな事業体に端を発する小さな場や活動に可能性を感じている。MSWでは、基本的には個人的な思想や楽しみ、満足から自然とはじまることが重要(というより、それくらいの心持ちで良いのだという考え)だと考えている。なぜなら小さく気負わず始めることができ、個性や多様性が生まれやすく、改善も早くでき、ゆえに変化に強く、質を高めやすいなど、公共や大企業が苦手とする点を見事に網羅し得るからだ。個人的にはじめたことや生まれた場が結果的に他者の幸福につながった時、それは微小だが立派な一つの社会福祉と言える。ポイントは、社会福祉と言いつつも必ずしも倫理観や使命感が先立つ必要や、そもそも意識として無くてもよい点である。むしろそういった側面を当事者が意識しなくても(しても)良いことが、前述した理由で利点となる。また、社会福祉とはそもそも人々の幸せの為にあるもので、社会福祉という行為自体がその目的に反するものとなったりハードルを上げてしまっては本末転倒であるという理屈から考えると、MSWは非常に合理的である。つまり、究極的にMSWは目的ではなく、結果であることが重要なのだ。今回はっぱ歯科が設けた多目的市民ギャラリー(もっとふさわしい言葉があるように思うけれど)は、その意味でまさにMSWにつながる場をつくり得たと言えるだろう。



マイクロソーシャルウェルフェア(MSW)という視点で自身を振り返ってみると、2016年の住宅処女作でもある「ちいさな家」ですでにその考えが反映されていることに気づく。ちいさな家では、狭小地の中リビングを排除してまで住宅規模に比して広い多目的な土間スペースを設けている。ここは仕事場や図書室、商店やイベント、テナント利用など様々な使途を想定した余白として計画された場であるが、本当の豊かさとはその余白の部分にこそあるのだろうと当時から考えていた。床面積のちいさな住まいでも、あえて豊かな余白を計画することで豊かな住まいがつくれると考えたわけだ。今になって思うのは、その余白はMSWスペース予備軍(ダサいネーミングはさておき)、すなわち余白ストックの形成に繋がる重要な考え方なのではないか、ということ。なぜなら空間の余白自体が住まい手の創造性を刺激し新たな意欲を生み出したり(例えばサラリーマンが商店をやりたくなるかもしれない)、将来的に建物の所有者自体が変わっていくことも想定すると、既存の空間が社会福祉に寄与する使われ方へと変容する可能性は十分にある。もちろん今までのように大胆なリノベーションやコンバージョンで構造や用途そのものを変えてしまえば変化への対応は容易であるが、そもそも新築の状態から何も改修せずともある程度の変化を許容できる器として建築が存在した場合、改修による環境負荷をより抑えることができ、それが仮に商店のようなものであった場合は資本を抑えられることでスタートアップも容易となる。人口減少や環境負荷など何かと新築が向かい風となっている現代ではあるが、新築が無くなるわけではない以上新築の在り様そのものをもっと議論する声があってもよい。余白の設計は、その一つの考え方である。それは単にフリースペースを設ければよいということではないということだけは強調しておきたいが、余白についての掘り下げはまた別の機会でまとめたいと思う。最後に一点だけ、余白は日々の暮らしのあらゆるシーンに纏わりつくものなのだと考えている点だけ付け加えておきたい。

■はっぱ歯科
https://notequal.jp/project/3324

■ちいさな家
https://notequal.jp/project/711

子どもが生まれました

2022.10.25 /

この度、お父さんという重役に着任することとなりました。子が生まれてきたときのイメージトレーニングは念入りにしてきたつもりでしたが、現実はまったくそれとは異なり「わがこ可愛いメーター」が振り切れんばかりです。冷静を装いつつ、対応していきたいと思います。