現在発売中の月刊商店建築2023年1月号に<お惣菜と台所Kou>が掲載されています。今月号は、「街と暮らしを幸せにする小さな複合施設」というテーマで、全国様々のお店や空間事例がご紹介されています。書店等でお見かけしましたらぜひ手にとってご覧ください。
■商店建築2023年1月号
https://shotenkenchiku.com/products/detail.php?product_id=426
現在発売中の月刊商店建築2023年1月号に<お惣菜と台所Kou>が掲載されています。今月号は、「街と暮らしを幸せにする小さな複合施設」というテーマで、全国様々のお店や空間事例がご紹介されています。書店等でお見かけしましたらぜひ手にとってご覧ください。
■商店建築2023年1月号
https://shotenkenchiku.com/products/detail.php?product_id=426
●北欧6日目(④〜⑥)/ Sweden
①朝食&移動 → ②スコーグスシュルコゴーデン → ③セント・マークス教会(外部) → ④セント・マークス教会(内部)→ ⑤Parlans → ⑥Kvarnen
6日目その3。(6日目その2はこちら/旅初日はこちら)いよいよレヴェレンツの代表作セント・マークス教会/1960の内部に潜入します。リズミカルなヴォールト天井と鉄骨の混構造で、素材は石、レンガを基調とし、存在を消したスチールとガラス、什器や照明の木と真鍮をポイントで使ったシンプルなものですが、アシンメトリーな構成と厳選された光によって情感ある空間となっています。当教会に限らず北欧の教会建築は、太陽高度が低いために横からの光を取り込むように祭壇の位置や建物の構成が計画されていることが多いです。トップライトで採光するのとは異なり、光の向きにプランが大きく影響を受けるため、ヨーロッパ建築によくあるシンメトリー(左右対称)な構成ではなく、必然的にアシンメトリー(左右非対称)な構成になるのでしょう。個人的な感想ですが、このように環境に呼応する建築は必然性があり美しいと思います。
セント・マークス教会を見学したのち、セーデルマルムに戻ります。当時できたばかりのParlansという話題のキャラメルショップに寄り買物を済ませたのち、ディナーのため100年以上の歴史を持つという正統派老舗レストランのKvarnenへ。雰囲気のある店内とシンプルだけど美味しい料理に満ち足りました。
明日はグスタフスベリでリサ・ラーソンの工房”KERAMIK STUDION”を訪問します。
続く
●北欧6日目(③)/ Sweden
①朝食&移動 → ②スコーグスシュルコゴーデン → ③セント・マークス教会(外部) → ④セント・マークス教会(内部)→ ⑤Parlans → ⑥Kvarnen
6日目その2。(6日目その1はこちら/旅初日はこちら)日本では森の墓地の設計者と言えばグンナール・アスプルンドですが、知られざるもう一人の設計者シーグルト・レヴェレンツの代表作「セント・マークス教会」が、森の墓地からトラムで2駅のところにあります。大変に素晴らしい建築なので、もし森の墓地へ旅行を計画されている建築好きの方がいらっしゃいましたら是非行かれてみてください。森に佇む控えめな建ち方、重厚な壁厚と開口部の繊細なディテール、光の取り入れ方、雨水の処理の仕方、アシンメトリーで情感ある内外部、レンガの使い方と納め方、照明デザインなどとても見所の多い傑作です。もっと有名になっても良いと思いますが、良くも悪くもメディアの与える影響力を実感します。実際、日本でレヴェレンツを紹介した書籍はほとんど見かけません。しかし、良いものは良い。メディアは知識として有効ですが、最後はきちんと自分の目と肌で判断できることが大切ですね。
次はお待ちかね、内部をご紹介していきます!
はっぱ歯科のテキストと自撮りしたものですがディテール写真を数枚追加しました。ぜひご高覧ください(こちら)。久しぶりにというか、せっかくのブログスペースが最近は業務連絡ばかりになっていましたので、散文ですが、プロジェクトを通しての所感というか気づいたことを少し文字にしてみようと思います。論考というと大げさですが、少し考えをまとめておきたかったということです。
—
この歯科の最もユニークなところは、私設の歯科がわざわざ貴重な床面積を割いて、本来の目的や利益と直結しない多目的に使える市民ギャラリーを設けた点だ。自身の権利を自分のためだけに使うのではなく、広く地域に開く選択をしたクライアントに敬意を表する。ウィズコロナとも言われるこれからの実店舗はその意義を根本から考え直す必要があり、それは歯科も同様である。
人々の幸福に資する公共的な場やサービスを社会福祉だとすると、社会福祉活動は一般的には公共や余力のある大企業などが行うものというイメージであろう。しかしこのはっぱ歯科のように、「Micro Social Welfare(マイクロソーシャルウェルフェア=微小な社会福祉。以後MSWと表記)」とでもいうような、個人や小さな事業体に端を発する小さな場や活動に可能性を感じている。MSWでは、基本的には個人的な思想や楽しみ、満足から自然とはじまることが重要(というより、それくらいの心持ちで良いのだという考え)だと考えている。なぜなら小さく気負わず始めることができ、個性や多様性が生まれやすく、改善も早くでき、ゆえに変化に強く、質を高めやすいなど、公共や大企業が苦手とする点を見事に網羅し得るからだ。個人的にはじめたことや生まれた場が結果的に他者の幸福につながった時、それは微小だが立派な一つの社会福祉と言える。ポイントは、社会福祉と言いつつも必ずしも倫理観や使命感が先立つ必要や、そもそも意識として無くてもよい点である。むしろそういった側面を当事者が意識しなくても(しても)良いことが、前述した理由で利点となる。また、社会福祉とはそもそも人々の幸せの為にあるもので、社会福祉という行為自体がその目的に反するものとなったりハードルを上げてしまっては本末転倒であるという理屈から考えると、MSWは非常に合理的である。つまり、究極的にMSWは目的ではなく、結果であることが重要なのだ。今回はっぱ歯科が設けた多目的市民ギャラリー(もっとふさわしい言葉があるように思うけれど)は、その意味でまさにMSWにつながる場をつくり得たと言えるだろう。
マイクロソーシャルウェルフェア(MSW)という視点で自身を振り返ってみると、2016年の住宅処女作でもある「ちいさな家」ですでにその考えが反映されていることに気づく。ちいさな家では、狭小地の中リビングを排除してまで住宅規模に比して広い多目的な土間スペースを設けている。ここは仕事場や図書室、商店やイベント、テナント利用など様々な使途を想定した余白として計画された場であるが、本当の豊かさとはその余白の部分にこそあるのだろうと当時から考えていた。床面積のちいさな住まいでも、あえて豊かな余白を計画することで豊かな住まいがつくれると考えたわけだ。今になって思うのは、その余白はMSWスペース予備軍(ダサいネーミングはさておき)、すなわち余白ストックの形成に繋がる重要な考え方なのではないか、ということ。なぜなら空間の余白自体が住まい手の創造性を刺激し新たな意欲を生み出したり(例えばサラリーマンが商店をやりたくなるかもしれない)、将来的に建物の所有者自体が変わっていくことも想定すると、既存の空間が社会福祉に寄与する使われ方へと変容する可能性は十分にある。もちろん今までのように大胆なリノベーションやコンバージョンで構造や用途そのものを変えてしまえば変化への対応は容易であるが、そもそも新築の状態から何も改修せずともある程度の変化を許容できる器として建築が存在した場合、改修による環境負荷をより抑えることができ、それが仮に商店のようなものであった場合は資本を抑えられることでスタートアップも容易となる。人口減少や環境負荷など何かと新築が向かい風となっている現代ではあるが、新築が無くなるわけではない以上新築の在り様そのものをもっと議論する声があってもよい。余白の設計は、その一つの考え方である。それは単にフリースペースを設ければよいということではないということだけは強調しておきたいが、余白についての掘り下げはまた別の機会でまとめたいと思う。最後に一点だけ、余白は日々の暮らしのあらゆるシーンに纏わりつくものなのだと考えている点だけ付け加えておきたい。