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KOSUKE ARIYOSHI

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TO SCANDINAVIA 6th day Vol.1

2022.01.05 /

●北欧6日目(①〜②)/ Sweden

①朝食&移動 → ②スコーグスシュルコゴーデン → ③セント・マークス教会(外部)→ ④セント・マークス教会(内部)→ ⑤Parlans → ⑥Kvarnen

6日目その1。(5日目はこちら/旅初日はこちら)旅の疲れもなんのその。いつものように早起きをして準備をすませ、バーンズホテルの食堂でモーニングを頂きます。特別手の込んだ料理があるわけではないのですが、雰囲気が最高に良いことに加えてくシンプルに素材が美味しくてついつい食べ過ぎてしまいます。この日の目的地は、、なんと墓地!スウェーデンまで来て半日かけてわざわざ墓地へ行きます笑 お昼はハイキングの予定なので、NK(エヌコー)という王室御用達の高級デパートの地下にあるデリで事前にお昼ご飯を調達。Tセントラーレン駅からトラムに乗ります。美麗なグラフィックが描かれたモダンなモザイク画が素敵です。Tセントラーレンからトラムに乗って30分ほど南下するとスコーグスシュルコゴーデン駅に到着。目指す墓地の名前がそのまま駅の名前なので迷わず行けました。駅を降りてサインに従いしばらく緑道を歩いて行くと目的地に到着です。北欧は光も空も本当に綺麗で、緑も映えます。






スコーグスシュルコゴーデン(森の墓地)は、1994年に世界遺産に登録された火葬場と5つの礼拝堂をもつ共同墓地です。コンペの末、当時無名だったグンナール・アスプルンドとシーグルト・レヴェレンツの共同設計案が勝利、1940年に完成しました。共同設計と言っても、メインのほとんどをアスプルンドが設計してしまったことやレヴェレンツが途中でプロジェクトを離れたことから、日本では森の墓地の設計者=アスプルンドと思われていて、レヴェレンツが共同設計者であることはあまり知られていません。セーデルマルムのアートブック店主に直に聞いた話ですが、あえて「日本では」と書いたのはスウェーデンではむしろレヴェレンツの方が評価されているからです。この森の墓地のあとにレヴェレンツの代表作を訪れますが、素晴らしい設計者であったことはその時に改めてご紹介します。ちなみにアスプルンドの死後、森の墓地を一手に引き受けてまとめあげたのもレヴェレンツです。

森の墓地は、死すれば森に還るという北欧の死生観が広大なランドスケープとして表現されている点が最も素晴らしい点だと思っています。ランドスケープが広大だということは、参列者はいやが応にも歩かなければならないわけですが、その歩く行為そのもの、時間までをも葬儀における瞑想的な要素として計画されていて、それが本当に素晴らしい。もちろん、それは美しい景観、建築、ランドスケープのバランスあってこそで、設計者の力量をうかがい知ることができます。

左手には真鍮が経年し緑青化した笠木とさほど高さのない(広大なスケールに対してはむしろ低い)スタッコの壁が目線を切り、右手はそれとは反対にどこまでも開放的で美しい丘陵が広がります。自然と意識は目の前の一本道に注がれ、その先のおそらく巨大なのであろう(距離があるために歩きはじめはその大きさがわからない)十字架を見つめ、ゆるやかな登り坂を黙々と歩く。地続きなのに、歩くほどに徐々に別のどこかへと向かっているような不思議な気持ちになります。やがて神殿のような列柱の大広間に出ます。火葬場の前室とのことですが、礼拝堂や火葬場は使用中で、中まで見られなかったのは残念でした。彫刻は、ヨーン・ルンドクヴィス作。















レヴェレンツの瞑想の丘からアスプルンドの建築群を俯瞰することができます。リズミカルな建築群とシンプルなシークエンスが一目でわかりますね。瞑想の丘は極めてシンプルですが、それゆえに静寂でとても美しいランドスケープです。風習でしょうか、石垣の上には遺族のものなのか想い想いのメッセージが書かれた白い小石が並べられています。その様子に不謹慎ながら哀しさというより楽しさ、お手紙のような意図を感じてしまったのですが、もしかすると死ぬということは誕生の前段であり必ずしも絶望ではないという死生観によるものなのかもしれません。そのあたり詳しい方がいらっしゃったら教えてください。昼休憩をしたのちに、アスプルンドが設計した森の礼拝堂に向かいます。






1920年に完成した森の礼拝堂は、この墓地で最初に完成した建物だそうです。日本の鳥居を思わせる小さなゲートをくぐり、針葉樹林を一本道に突き進んだ先にトンガリ屋根の小さな礼拝堂が見えてきます。何気にこの小さなゲートが結構効いていて、これによってゲートの向こう側を聖域のような厳かなエリアに仕立て上げているように感じます。塀の低さから考えても防犯としての役割はほとんどありません。伊勢神宮の正宮にも通じるその手法ははたして偶然でしょうか。また、可愛らしい建物に意識がいきがちですが、まずもって建ち方が非常に優れています。そして小さすぎるくらいに抑えたスケールがどこか物語的、浮世的な印象を与えています。建築家であり建築歴史家である藤森照信氏もミニチュアのように錯覚させる独特のスケール感で有名ですが、それと近しいものを感じました。氏は、世界の建築を参照していることでも知られていますがこの礼拝堂もリソースの1つとして含まれているのかもしれないなぁなんて思ったり。こちらも丁度使用中で残念ながら内部の見学は叶いませんでした。是非いつかまたリベンジしたいところです。








続く

論考:余白の可能性とマイクロソーシャルウェルフェアという考え方

2022.12.19 /



はっぱ歯科のテキストと自撮りしたものですがディテール写真を数枚追加しました。ぜひご高覧ください(こちら)。久しぶりにというか、せっかくのブログスペースが最近は業務連絡ばかりになっていましたので、散文ですが、プロジェクトを通しての所感というか気づいたことを少し文字にしてみようと思います。論考というと大げさですが、少し考えをまとめておきたかったということです。

この歯科の最もユニークなところは、私設の歯科がわざわざ貴重な床面積を割いて、本来の目的や利益と直結しない多目的に使える市民ギャラリーを設けた点だ。自身の権利を自分のためだけに使うのではなく、広く地域に開く選択をしたクライアントに敬意を表する。ウィズコロナとも言われるこれからの実店舗はその意義を根本から考え直す必要があり、それは歯科も同様である。

人々の幸福に資する公共的な場やサービスを社会福祉だとすると、社会福祉活動は一般的には公共や余力のある大企業などが行うものというイメージであろう。しかしこのはっぱ歯科のように、「Micro Social Welfare(マイクロソーシャルウェルフェア=微小な社会福祉。以後MSWと表記)」とでもいうような、個人や小さな事業体に端を発する小さな場や活動に可能性を感じている。MSWでは、基本的には個人的な思想や楽しみ、満足から自然とはじまることが重要(というより、それくらいの心持ちで良いのだという考え)だと考えている。なぜなら小さく気負わず始めることができ、個性や多様性が生まれやすく、改善も早くでき、ゆえに変化に強く、質を高めやすいなど、公共や大企業が苦手とする点を見事に網羅し得るからだ。個人的にはじめたことや生まれた場が結果的に他者の幸福につながった時、それは微小だが立派な一つの社会福祉と言える。ポイントは、社会福祉と言いつつも必ずしも倫理観や使命感が先立つ必要や、そもそも意識として無くてもよい点である。むしろそういった側面を当事者が意識しなくても(しても)良いことが、前述した理由で利点となる。また、社会福祉とはそもそも人々の幸せの為にあるもので、社会福祉という行為自体がその目的に反するものとなったりハードルを上げてしまっては本末転倒であるという理屈から考えると、MSWは非常に合理的である。つまり、究極的にMSWは目的ではなく、結果であることが重要なのだ。今回はっぱ歯科が設けた多目的市民ギャラリー(もっとふさわしい言葉があるように思うけれど)は、その意味でまさにMSWにつながる場をつくり得たと言えるだろう。



マイクロソーシャルウェルフェア(MSW)という視点で自身を振り返ってみると、2016年の住宅処女作でもある「ちいさな家」ですでにその考えが反映されていることに気づく。ちいさな家では、狭小地の中リビングを排除してまで住宅規模に比して広い多目的な土間スペースを設けている。ここは仕事場や図書室、商店やイベント、テナント利用など様々な使途を想定した余白として計画された場であるが、本当の豊かさとはその余白の部分にこそあるのだろうと当時から考えていた。床面積のちいさな住まいでも、あえて豊かな余白を計画することで豊かな住まいがつくれると考えたわけだ。今になって思うのは、その余白はMSWスペース予備軍(ダサいネーミングはさておき)、すなわち余白ストックの形成に繋がる重要な考え方なのではないか、ということ。なぜなら空間の余白自体が住まい手の創造性を刺激し新たな意欲を生み出したり(例えばサラリーマンが商店をやりたくなるかもしれない)、将来的に建物の所有者自体が変わっていくことも想定すると、既存の空間が社会福祉に寄与する使われ方へと変容する可能性は十分にある。もちろん今までのように大胆なリノベーションやコンバージョンで構造や用途そのものを変えてしまえば変化への対応は容易であるが、そもそも新築の状態から何も改修せずともある程度の変化を許容できる器として建築が存在した場合、改修による環境負荷をより抑えることができ、それが仮に商店のようなものであった場合は資本を抑えられることでスタートアップも容易となる。人口減少や環境負荷など何かと新築が向かい風となっている現代ではあるが、新築が無くなるわけではない以上新築の在り様そのものをもっと議論する声があってもよい。余白の設計は、その一つの考え方である。それは単にフリースペースを設ければよいということではないということだけは強調しておきたいが、余白についての掘り下げはまた別の機会でまとめたいと思う。最後に一点だけ、余白は日々の暮らしのあらゆるシーンに纏わりつくものなのだと考えている点だけ付け加えておきたい。

■はっぱ歯科
https://notequal.jp/project/3324

■ちいさな家
https://notequal.jp/project/711

KMEW DESIGN AWARD 2022 入賞

2022.11.29 /


KMEW DESIGN AWARD 2022でCLERESTORY HOUSEが九州ブロック優秀賞を頂きました。建材メーカーのアワードということで、建築設計事務所だけでなくハウスメーカーやビルダーの応募が多いという特徴はありますが、例年、審査委員長を建築家・竹原義二さんが担当されており、図面までしっかりと見て頂いているようで表層だけを審査するアワードとは一線を画しています。そのような中、応募総数1020件の中からベスト25件(特定の建材を採用した部門賞を除けば13件)に残ったということで大変光栄に思います。ご関係者の皆様方にはこの場を借りまして御礼申し上げます。授賞式は神奈川県のヒルトン小田原リゾート&スパで行われ、式後は杉本博司+新素材研究所による<江之浦測候所>を見学させて頂きました。江之浦測候所がこれまたすごかったので、また追って記事にしたいと思っています。

■審査結果
https://www.kmew.co.jp/design_award2022/

日本空間デザイン賞2022 Shortlist入賞

2022.10.25 /

“お惣菜と台所Kou”が、日本空間デザイン賞2022のShortlist(ファイナリスト)として入賞しました。クライアントおよび関係者の皆様、誠におめでとうございます。また、プロジェクトチームの皆様方に感謝申し上げます。今回の結果は、日本空間デザイン賞ウェブサイト上でアーカイブされ、いつでも検索できるようになります。以下は、本賞の特色についてオフィシャルサイトから引用したものです。

日本空間デザイン賞は、空間デザインの価値を未来へ繋ぐために設立された日本最大級のデザインアワードです。
社会が複雑化するなか、人々の価値はモノの豊かさからココロの豊かさへと変化し、多くの課題と向き合っています。この社会の多面的な問題をデザインのちからによって解決に導き、希望あふれる未来を切り拓くことが日本空間デザイン賞の使命です。
日本空間デザイン賞の活動は、デザインに情熱をかける多種多様な人々が集い、相互に切磋琢磨できる場と機会をつくることを主軸としています。そして、新しいデザイン価値や国内外の優れた人材の発掘を実現し、次世代の指標となる創造的なプラットフォームを構築します。
日本文化において、「空間」は物理的なスペースであるだけでなく、その「間」に生じる人々の心の動きや物事の変容、時の流れをも意味します。空間をデザインすることは、人々に、社会に、時代に、大きな可能性を創り出すことなのです。
空間デザインには、人々の感動を起し、社会を豊かにするちからがあります。
我々は空間デザインのちからを信じています。

■日本空間デザイン賞 オフィシャルページ
https://kukan.design
■日本空間デザイン賞 アーカイブページ
https://kukan.design/award/2022_b04_0085/
■お惣菜と台所Kou
https://notequal.jp/project/2976